翌朝、8時に起きた我々は、ホテル1階の食堂に降りた。
バイキング形式だが、メニューは実に味気ない。パンとコーヒーしかないのだ。せめてベーコンくらいは食いたいな、と隣の食堂を覗き込むと、こっちのバイキングは卵やベーコンが付いて来る。入り口で部屋番号と名前を書けば、その部屋で食えるようだぞ。そこで、ちゃっかりそちらで腹を満たした。
フロントで1万円札を両替してから、まずはロンドンの中心、トラファルガー広場を目指すことにした。ここには、市内一周のトロリーバスがあるのだ。まずは、これに乗ってみよう。
トラファルガーまでは、地下鉄ですぐだった。 トロリーバスでは、日本語の解説付きのヘッドホンを借りることができたので、実に快適に市内一周を味わえた。でも、いろいろな教会の前を通ったが、基本的には東京とたいして変わらない街だということが判った。その間ずっと、どういうわけか俺の頭の中では、クイーンの曲が流れつづけていた。それも、なぜか「シアー・ハート・アタック」や「華麗なるレース」の収録曲ばかり。これはきっと、初期のクイーンのメロディが、ロンドンの瀟洒な雰囲気にマッチしていたからだろう。やはり、イギリスのロックバンドの曲は、イギリスで聴いたほうが映えるのかもしれぬ。
さて、市内を一周してトラファルガー広場に帰ってきたぞ。ここには、三越などの日本のデパートが何件もある。バンちゃんが三越で買い物をしたがったので、しばらくそれに付き合った。その後はマクドナルドでビッグマックを頬張って、午後への鋭気を養ったのである。
とりあえず、トラファルガー広場のネルソン像を見に行ったのだが、こいつはえらく高い柱の上に立っているので、小人みたいに見える。この銅像は、お痛をしないようにフランスを睨みつけているのだとか。当時のイギリスは、よっぽどナポレオンが怖かったのだなあ。 銅像(というより銅柱)の周囲では、若いカップルたちが抱き合ったりチューしたりしているのだが、みんなスタイル抜群の美男美女ばかりだった。どうやらイギリスでは、日本と違って、人前でイチャつくのは美形に限定されているらしい・・・。
ここで、友人の小山が、海外からの絵葉書を貰いたがっていたのを思い出した。そこで、トラファルガー広場の屋台に入り、絵葉書ゲットに成功。足早に去ろうとしたら、後ろから屋台のオジサンが追いかけてきた。どうしたのだろうと思ったら、オジサンは、俺に財布の中身を見せろという。不思議に思って財布を開けたところ、オジサンは笑顔で、「君の持っているこの紙幣と硬貨は、今ではこの国で流通していないから、気をつけてね」とアドバイスをくれた。
前述のとおり、俺は父親から10年前の貨幣を貰って来ていたのだ。もちろん、流通しないことを知っていたから、買い物には使わないように財布の奥にしまっておいたのだが。しかし、何の縁も無い屋台のオジサンが、財布の隅に目を留めて、わざわざ店をほったらかしにして俺の後を追いかけて忠告してくれるとは驚きだ。イギリス人って、実は、とんでもなく親切な人種なのではないだろうか。この連中が、かつて全世界を侵略して植民地を作りまくっていたとは、とても信じられない。
感動にひたっていると、バンちゃんが「何のトラブル?」と聞いてきた。ちぇ、興ざめだぜ。
さて、次なる目的地はバッキンガム宮殿である。好奇心に動かされ本屋さんやCDショップなどを物色しつつ、王宮に向かってブラブラと歩いた。沿道には、イギリス史上の偉人たちの銅像がたくさん建っているのだが、案の定、軍人が多い。その中には、50年前に日本人を大量に殺したスリム将軍やマウントバッテン卿の姿もあるのでムカついた。
途中の屋台でアイスを買って食ったところ、実に美味いので驚いた。朝の牛乳でも気づいたことだが、イギリスの乳製品は味が濃くて美味い。日本の乳製品業者は、荒稼ぎをするために味を薄めているのではないだろうか、と疑問を抱いた。
また、途中からセントジェームズ・パークに入ってみたところ、この国の鳥類は、人間を恐れないことに気づいた。我々の前で、スナック菓子を食べながら歩いていた若者が、ハトの群れに襲われ、まるでヒッチコックの映画みたいになっていた。怖い・・・。
それにしても、ロンドンの公園は、大きくて緑が濃くて、実に素晴らしいところだ。この快適さは、東京の公園とは比べ物にならない。 そうこうするうちに、バッキンガム宮殿に着いた。さすがに立派な宮殿だが、あまり印象に残っていない。俺は、ミーハーな観光名所には興味を持てない人なのだ。しばらく正門の周囲をウロウロして、有名な赤服の衛兵や騎乗兵らを見た後で、シティを外から見学し、俺たちはその足をビッグベン(国会議事堂)に向けた。
バンちゃんいわく、「議事堂を見学できるツアーがあるって、俺の父が言ってたよ」。
残念ながら、俺はビッグベンの外観にしか興味が無いのだった。そこでバンちゃんの提案が聞こえなかった振りをして(ひどいなあ)、そのまま歩いてテムズ川に出た。 「せっかくだから、遊覧船に乗ろうぜ」「おお」というわけで、この企画は即決した。ちょうど遊覧船の出発時刻だったので、ほとんど待たずに船に乗り込むことが出来た。
それにしても、テムズ川は灰色で汚い川だ。シャーロック・ホームズシリーズの『四人の署名』で、不気味な追跡劇の舞台になっただけのことはある。しかも、遊覧船から流れてくる観光案内は全て英語で、これがすごく聞き取りにくかった。沿岸の景色も、中途半端に都市化されていてちっとも美しくない。まるで隅田川だな。
少なからず失望していると、船は30分ほど下流に進んで、終点のロンドン塔に着いた。
普通なら、これからロンドン塔の見学と洒落込むところである。しかし、俺の視線は川の中ほどに注がれていた。そこに浮いていたのは、第二次大戦で活躍した重巡洋艦H.M.S.ベルファスト号である。俺は、有無を言わさずバンちゃんを連れてロンドン橋を南に渡り、そこからベルファスト号に乗り込んだ。
受付の色の黒い姉ちゃん(ロンドンでは、低所得者層はみな有色人種のようだ)は、「あと30分で閉館だけど、いいの?」と聞いてきたが、強引に中に入り、艦内を足早に見学したのだった。ついつい、軍事マニアの本性が発揮されてしまったわい。俺は、こういう衝動には耐えられないのだ。
閉館時刻になって時計を見たら、なんと4時ではないか。
大急ぎでロンドン橋を北に渡ってロンドン塔に向かう。しかし、残念ながら見学時間はとっくに過ぎていたのだった。ごめんね、バンちゃん。
仕方ないので、お土産屋を物色してから再び船着場に向かい、また遊覧船に乗ってビッグベンで降りた。それからホテルの近くに帰り、アバディーンステーキというレストランでローストビーフに舌鼓を打ったのである。いやあ、これは美味かった。
それから、ホテルに帰ったのだが、シャワーは相変わらず壊れたまま(お湯が出っ放し)だった。不思議に思ってロビーに降りてホテルマンに聞いたところ、「工務店が休みなので、明日まで待ってくれ」と言われてしまった。不思議な話だ。平日なのに閉店している工務店もどうかと思うが、仮にそうだとしても、他の店に当たって見れば良いではないか。妙なところで官僚的で融通が利かないとは、意外とダサい国だなイギリスは。それでも、「太陽の沈まない帝国」の末裔かよ!
まあ、日本以外の国は、先進国といってもこの程度なのかもしれないが。 ともあれ、シャワーを浴びれないわけじゃないので、バンちゃんと交代で風呂に入り、四方山話をしてからすぐに寝た。
おっと、寝る前に、俺は友人のために絵葉書をこしらえたのであった。